魅力的なピアノ作品集(シューベルト)

シューベルト(1797-1828)のピアノ音楽を特集してお送りしています。

(これまでの記事のリストのページも貼っておきます)

第14回目の今回は、親しみやすい、魅力的な小品をいくつか集めてみました。

まず、最初に採り上げたこの曲は、ハンガリー風のメロディD817(1824)です。

1824年の夏、シューベルトは、エステルハージ伯爵家の音楽教師として、再び、ハンガリーツェレス(ジェリツとも。現在は、スロァキア南部の、ジェリエゾフツェ)の、伯爵の館に滞在します(最初にこの地を訪れたのが、1818年夏のことで、前回採り上げた、ピアノソナタ第11番が書かれた時のことです)。

この時には、主にピアノ連弾曲の名作が書かれました。中でも、4手のためのソナタハ長調D812(グランデュオ)は有名な作品で、4楽章からなる大作です。響きも大変交響曲的で、シューマン(1810-56)も、これは、実は、交響曲の下書きではないのかと、本気で信じていたようです。後には、幻と言われた、グムンデンガシュタイン交響曲(5月28日付け参照)の原曲、という説も現われました。

(興味のある方は、こちらからどうぞ)

ハンガリー風のメロディD817は、シューベルトが滞在中に聴いた歌や、祭りの音楽をもとに書かれたものということです。同時期に滞在していたシェーンシュタイン男爵によれば、この主題は、2人で散策中に聴いたもので、それが、自筆譜にも記された9月2日のことだそうです。

この曲自体は、没後100周年に当たる1928年に発見され、出版されましたが、シューベルトは、先に、4手連弾用の曲、ハンガリー風ディェルティスマン(ディェルティメント)op54D818(1826年に出版)の第3楽章(フィナーレ)の主題としても使っています(原曲はロ短調ですが、ト短調に移調されています)。

シューベルトには、ピアノ連弾曲にも魅力的な作品が多いと思います。機会がありましたら、また書いてみたいとも思います。

16のドイツ舞曲集op33D783と、12のドイツ舞曲(レントラー)D790です。前者の第1曲目と、後者の第2曲目が同じ曲だったりもします。

シューベルトは、友人たちと集った、シューベルティアーデという私的な夜会で、即興で舞曲を弾き、それに合わせて、ダンスが楽しまれました。シューベルトは、自身が気に入ったものを繰り返して弾き、記憶に留めて楽譜を書いたと言います。

これらの曲を集めて、いくつかの舞曲集が出版されていますが、シューベルトはその作業に関わってはいません。そのため、何曲かは、重複している曲があるのです。

16のドイツ舞曲集op33D783(1823-24)は、そういった舞曲集の1つで、2つのエコセーズ(ここでは、弾かれていません)を加えて、1825年1月8日に出版されました。

12のドイツ舞曲(レントラー)D790は、1823年5月に作曲されたものですが、出版は、1864年のことで、ブラームス(1833-97)の取次ぎにより、ようやく実現したものです。そして、唯一、シューベルト自身が編集した曲集だと言われています。その意味でも貴重です。

レントラーは、民族舞踊として、18世紀末頃まで、ドイツ圏南部で広く踊られました。

レントラーとは、分かりやすく言えば、ワルツの親戚みたいなものです(テンポは、総じて速めです)。13世紀頃、農民たちが踊っていたェッラー(Weller)から発展したのが、ワルツやウィンナワルツであり、また、別の進化を遂げたのが、レントラーや、チロリアンダンスであったりもするのです。

この、12のドイツ舞曲(レントラー)の第6曲は、弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810死と乙女(1824-26昨年9月8日付け参照)の、(第3楽章)スケルツォを、先立って示すものである、と、CDのライナーの著者は述べています。

また、最初に採り上げた曲の関連曲である、ハンガリー風ディェルティスマン(ディベルティメント)op54D818の、第3楽章(フィナーレ)にも、弦楽四重奏曲死と乙女のフィナーレの、タランテラ主題を思わせるモティーフが聴かれます。

(参考までに。最初に出てくる箇所は、02分50秒頃からです)

アレグレットハ短調D915は、わずか1ページという、ささやかな作品ではありますが、シューベルトらしい、陰影に富んだ作品でもあります。

D899や、D935の即興曲集、楽興の時D780と同じ頃の1827年4月26日に、ピアニストである友人のために書かれ、献呈された作品だということです。

14日付けの前回にも書いたように、1817年は、シューベルトにとって、まさに飛躍の年となりました(この年には、7曲ものピアノソナタが書かれています)。

この年の11月に作曲された(この時期は、まさに、初期の交響曲の集大成、第6番ハ長調D589が書かれた頃でもあります)この2つのスケルツォD593は、変ロ長調の第1番と、変ニ長調の第2番からなっていますが、技法的には、それほど難しいものではなく、どちらも、耳に馴染みやすい佳作と言えると思います。

6月に作曲された、ピアノソナタ第7番変ニ長調D567は、この時期のシューベルトにしてはじっくりと推敲がなされたもので、後に、最終決定稿となるD568(変ホ長調に移調され、増補改訂がなされました)が完成したのは、1826年のことだとも言われています(第18番幻想の頃です)。

この2つのスケルツォD593の、第2番のトリオ(中間部)は、その、ソナタ第7番第3楽章メヌエット(後に書き足された楽章です)のトリオと、ほぼ完全に一致することで、大変興味深いものと言えると思います。

この曲を弾いているゲルハルトオピッツ(1953-)は、ピアノのマエストロ(巨匠)、ィルヘルムケンプ(1895-1991前回の記事も参照ください)の薫陶を受け、その流れを継ぐ、ドイツの正統派ピアニストです。そのタッチには、温かさも感じられる、とても素晴らしい芸術家だと思います。要注目の人だと言っても良いでしょう。

最後は、まず、この曲をお聴きください。

ピアノの名曲を好んで聴かれる方の中には、この曲を耳にした方も多いはずだと思います。

そうです。ベートーェンの、ディアベッリ変奏曲op120(1823)の、あの、主題のワルツですよね。

楽譜商としての方が有名かとも思いますが、アントンディアベリ(アントニオディアベッリ1781-1858)は、作曲家でもありました。

1819年、ディアベリは、この自作のワルツを、オーストリア在住の作曲家やピアニストに送り、これを主題とした変奏曲を、1曲ずつ依頼しました。

祖国芸術家連盟の名称でこの変奏曲集を出版する企画で、シューベルトや、フンメル(1778-1837)、また、ツェルニー(チェルニー1791-1857)や、当時11歳だったリスト(1811-86)も応募しました。ツェルニーはコーダ(終結部分)も書き、また、リストにとっては、初めての出版作品ともなったのです。

ベートーェンは、この主題が気に入らず、最初は手を付けようともしませんでしたが、後に気が変わったようです。50人という、祖国芸術家連盟による変奏曲集に対抗するかのように、1823年の春、ついに、33曲もの変奏曲を、独自に完成させたのです。

変奏曲ではなく、変容と題されたこの作品は、演奏に約1時間を要する超大作となりました。凡庸とも言えたディアベリの主題が、ベートーェンによって注釈され、批判され、修正され、茶化され、嘲笑され、矛盾を暴かれ、軽蔑され、魔法にかけられ、浄化され、嘆き悲しまれ、踏みにじられ、終いには、微笑みかけられる(アルフレートブレンデル)こととなったのです。

シューベルトの書いた変奏曲は、ハ短調で、いかにもシューベルトらしい、哀愁や、不安に満ちた作品となっています。

この作品を演奏しているシプリアンカツァリス(1951-)は、フランスの、世界的ピアニストです。クラシック音楽ファンの間では、1980年代に、テルデックに録音されたリスト編曲による、ベートーェン交響曲全集(ピアノ版)が有名だと思いますが、超絶技巧なだけではなく、しっかりとした音楽性をも兼ね備えていることが、この録音でも分かります。私自身も、テレビ(N響アワーの時代でしたか)で聴いた、シューマン(1810-56)のピアノ協奏曲イ短調op54の繊細な演奏が、今でも、印象に残っています。

さて、1月27日付けのピアノソナタ第19番ハ短調D958(1828)から始まったこのシリーズも、ついに、次回最終回となります(またしてもこんな長期連載に)。

最終回となる次回は、もちろん、最晩年の至高の名作、ピアノソナタ第21番変ロ長調D960(1828)について書いてみたいと思います。ぜひ、お見逃しなく

それではまた。

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(daniel-bフランス専門)